華嶌蒼さんの歴史

小中の時期から、自分は他人とは違うと信じ込んできました。皆は「◯◯が好き」だとか「◯◯って◯◯と付き合ってるらしいよ」とか、そんな話に夢中になるなか、私はただひとり休み時間さえ勉強していました。

「勉強して将来良い職につくことが人生の成功」であり「恋愛」はそれを邪魔する「悪」である。もともとひ弱な自分なりの「自己防衛」だったのかもしれません。

「他人とは違う」ことを主張するために、好きでもないのに難しい本を読んでみたり、芸術家気取りで絵を描いてみたり。そうこうしているうちに自分の周りに分厚い壁を作ってしまっていたのです。

 

人間関係は希薄で誰かと「お付き合い」するということもありませんでした。

 

孤独感に押しつぶされるようにして私は、10代から20代にかけて大学を休学していました。

志望校に行けず浪人生活をしているなかで友人関係は希薄になってしまい、大学に進学してもなお、孤独感に苛まれていました。

休学中、蒸し暑い季節、カーテンを閉め切った部屋で見たある女性へのインタビュー特修で「Aセクシャル」という言葉を知りました。しかし、そのときはまだ自分に関係する言葉であるとの自覚がありませんでした。

 

その後、私は社会人になります。社会に出て、人との繋がりは増えましたが、自己嫌悪は拭えていませんでした。

ある日、ふと思い立って、「恋愛 わからない」と検索をしてみると、ハフポストの記事がヒットしました。「アセクシャル」という言葉が目に留まり読み進めていくうちに、これこそ私が求めていた言葉なのだと、はじめて知ったあの日から7年の歳月を経て思い知りました。

「にじいろ学校」のホームページ、Twitterをフォロー、新宿で貸切バーのイベントをやるというので、勇気を出して参加をしてみました。参加人数は十人程度、小規模なイベントでした。ふなはるさん(にじいろ学校代表)が自然な感じで席に案内してくれました。1時間ほど皆でテーマを決めて話し合ったりゲームをしたりしました。とても居心地が良かったのを覚えています。

 

それからは定期的ににじいろ学校さん主催のイベントに顔を出すようになりました。

恵比寿で行われたアセクシャル週間(AAW,今のAce Week)のイベントで出会った方々との出会いは特に私にとって大きな出来事でした。

アセクシャルの方々とお話をすると、自分の安全基地がここにあるんだなぁと実感し嬉しくなります。

そして、居場所のきっかけを作ってくださったにじいろ学校さんには大変感謝しています(あと個人的にふなはるさんありがとう)。恩返しのためにボランティアや寄付活動は継続していきます!

 

私は、行政書士という仕事をしています。行政の許可が必要な事業をするときにサポートをしてあげたり、外国の方が日本で生活するための手続きをしてあげたり。

ただやっぱり、アセクシャルの方々のサポートもしたいので、「アセクシャルるための相続・遺言セミナー」を開催したりしています(にじいろ学校さんのイベントでも担当させていただきました)。

最近は、心理職(臨床心理士や公認心理師)になりたいという気持ちが固まりました。通信制大学で勉強しながら、アセクシャルに関連する知識を得ようと頑張っています。

 

「アセクシャル」という言葉が自分にとっていかに価値あるものか、絵を描いたり小説を書きながら表現していきたいし、いつか、アセクシャルの方々が気軽に集えるカフェを作りたいとも思っています!